「科学」というもの

前回の記事で触れたことだが、エッセンシャルオイルの使いすぎは体に負荷をかけているという推測は、少しずつ確信を深めている。私の腕の皮膚炎症は、私の体の「使いすぎセンサー」の役割を果たしているようにも感じる。
先日も湯船でキャリアオイルに対してローズマリー、ユーカリ等のブレンドを50%濃度にしたもの10滴ほど皮膚に塗り、香りを楽しんだ。そして本日、収まっていた炎症は赤みを増し、若干ではあったが悪化していた。
一方、皮膚疾患に関わるもう一つの事象についても、最近注意を向けるようにしている。
「栄養」だ。
特にβ-カロテンは皮膚の健康に必要な栄養で、思えばここ最近の食生活において、野菜の摂取がきわめて少なかったことに気付いた。
で、食生活も若干の改善を図っており、その結果、何が改善の結果であり、何が悪化の原因なのか、正直良くわからなくなっている。
「まあ、それでも良いか!」というのが、私の現在の基本的姿勢。

今回は当ブログの主要テーマである「エッセンシャルオイル」から少し話題がずれるかもしれぬ。
多剤耐性菌という厄介な細菌MRSAに、1000年前の薬が良く効くというお話。
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http://www.bbc.com/news/uk-england-nottinghamshire-32117815

Yahooニュースでも取り上げられているのでご存知の方も多いと思う。
ニンニクか玉ねぎ・ニラ・ワイン・雌牛の胆汁の4種類を混ぜて作られる、目薬(目の感染症薬)が、多剤耐性菌に非常に良く効くのだそうだ。

それが、「驚き」を持って報道されていることが、私は面白いと思った。

「効い」て不思議はないのだと思うのだが、なにかそこに、「現代」という、あるいは「科学」という万能意識を覆された、「古代・中世」への驚きが根底にあるような気がしている。
私も、このブログを見に来ている方達も感じていることではないかと思うのだが、アロマセラピーも実は「古代・中世」に半分足が架かった生活の知恵であり、それらのことと大差無いことと思うのだ。

たとえば、ローズマリーとワインという古い製法で作られたハンガリーウォーターの効能には、現代のエッセンシャルオイル主体のアレンジされたものに比べ、実は気づいていないパワーが秘められているのかもしれない。昔の事だし、迷信だしと、現代医学のどこか万能意識のなかで歴史を顧みる作業を放棄している現代人は、重要な遺産を無駄にしているのかもしれない。それに漢方薬に対する位置づけも、妙に歪んだイメージがある。

たしかに、その当時の医学や環境の水準から、現代は平均寿命も子供の生存率も飛躍的に伸び、医学や科学の果たした役割は大きい。しかし、昔の薬が「副次的」とイメージするのは間違っていると思う。

医の世界は複雑怪奇である。

kagaku13nazoマイケル・ブルックス著 まだ科学で解けない13の謎

図書館で借りて読んだものだが、ここ最近、ウイルス、医薬品、植物、タンパク質等々の書籍が面白く、いろいろと読んだ。その中の一冊だが、ここに「ブラシーボ効果」「ホメオパシー」についての言及がある。

寄り道だが簡単に紹介しよう。
科学はますます混迷の道に迷い込んでいる。パイオニアはニュートン力学の及ばぬ領域に突き進んでいる。宇宙論を考える物理学者の間では想定の範囲内で会ったことだが、わずか太陽系の辺境でこのような現象に出会ったことがショッキングであるといえる。20世紀は「科学」万能の時代であったが、この21世紀に入って解らなかった謎が依り深化しているようだ。その「戸惑い」をこの本は面白く解き明かしている。なお、目次はAmazon の注釈から拝借した。
第1章  暗黒物質・暗黒エネルギー――宇宙論の大問題。でもそんなものは存在しない?
第2章  パイオニア変則事象――物理法則に背く軌道を飛ぶ二機の宇宙探査機
第3章  物理定数の不定――電磁力や強い力、弱い力の強さは昔は違っていた?
第4章  常温核融合――魔女狩りのように糾弾されたが、それでよかったのか?
第5章  生命とは何か?――誰も答えられない問い。合成生物はその答えになる?
第6章  火星の生命探査実験――生命の反応を捕らえたバイキングの結果はなぜ否定された?
第7章  ”ワオ!”信号――ETからのメッセージとしか思えない信号が一度だけ……
第8章  巨大ウイルス――私たちはウイルスの子孫? 物議をかもす異形のウイルス
第9章  死――生物が死ななければならない理由が科学で説明できない
第10章  セックス――有性生殖をする理由が科学ではわからない
第11章  自由意志――「そんなものは存在しない」という証拠が積み重なっている
第12章  プラシーボ効果――ニセの薬でも効くなら、本物の薬はどう評価すべきか?
第13章  ホメオパシー(同種療法)――明らかに不合理なのになぜ世界じゅうで普及しているのか?

プラシーボの後にホメオパシーが言及されているのが何やら意味深だ。プラシーボ効果は要するに、「鼻糞丸めて万金丹」、「痛いの痛いの飛んでケー」の世界である。しかし、これは嘲りの対象ではない。
「思い込み」は病に打ち勝つ大きな支えだと思っている。特に私の子供のころは「六神丸」の世話になってきた(おっと、けしてそのような意味ではありません)。てんかんに苦しんでいた少年時代、その香りをかいだだけで危機から逃れることができたのは事実である。
私の90になる父は、富山の風邪薬が日々の体調コントロールの助けになると思い込み、毎月やってくる薬売りの重要な稼ぎ頭となっている。90を過ぎれば何があっても不思議でない年なので、私は「ああそうかい」でやり過ごすことにしている。

人がどのようなメカニズムで健康を保っているのかという不思議は、より深く怪奇な世界に入り込んでいるようだ。
動植物という生きる個体。それを構成する細胞。これも生命。しかし、現代はさらにその下でうごめくウイルスの世界に気づいてしまったようだ。しかもウイルスは、「生命」と「物質」の中間的位置づけというから、疑問は深まる。
最近、NHKの番組で腸内細菌の世界を紹介する番組があり、いささか驚きをもって見ていたのだが、さらにその細菌の一つ一つの中に、より多くのウイルスの世界がひしめいているとのこと。そのウイルスが人の健康をコントロールする事例(胎児の妊娠に絡んで、ウイルスがその手助けをしているという)も報告され、自然の営みは、人知のとても及ばぬ領域に広がっているのだという事実を21世紀の人々は知りつつある。

地平線が世界の果てと考えていたコペルニクスやガリレオガリレイの時代と、実は現代人が陥っている感覚は同じであるのだと、私も最近知りつつある。

理論・推論と実験・証明で組み立てていく科学は重要だが、経験の積み重ねを柔軟に取り込むことも、必要なことかもしれない。

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