ティーツリー 再掲

熊本、大分を中心とする九州での地震は、これまでにないパターンで被害の幅を広げつつある。この現状で今の私には何もできず、よくわからない「もどかしさ」を感じつつ、いくつか思いついたことを書いてみたい。

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写真は、2011年3月に起こった東日本大震災の津波の跡である。その年の11月に訪れた時の写真だ。この震災を境に、この日本では「何かが起こりつつある」予感を、日本のほぼすべての国民が感じているのだと思った。そして、5年がたった。

■ 「何かが起こりつつある」

それは何かと問われれば、日本列島の地下でマントルが活動期に入ったということが、まず第一に挙げられるし、ほとんどすべての日本人が感じていることではないかと思う。ただし、永田町に巣食うごく一部の方たちは例外かもしれない。

20160419-1NHKの映像から失敬した。

4月上旬にNHKで放送していた、NHKスペシャル 巨大災害 MEGA DISASTERII 日本に迫る脅威 「地震列島 見えてきた新たなリスク」(https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2016068959SA000/ )は、実にこれを予言したかのような番組であった。311の地震の後、宮城県一帯の港が地盤沈下を起こし、海面下に沈んでいたのだが、最近この岸壁が急上昇し、海面から40センチ以上持ち上がったという。たった5年のあいだにである。「常識を覆す想定外の事がこの日本で起こりつつある」と番組は結論付けている。

そして熊本で地震が起こった。覆した常識の最初の一つは、過ぎ去ったと思ったその丸一日後に本命が現れたことだ。昔から「地震慣れした」日本人にとっては驚きの事態である。

私は、2011年の災害に対しては現在も被災者支援の活動を、補足的ではあるが続けている。つまり、311はまったくと言ってよいほど終わってはいない。とりわけ原発事故の後遺症は深くなるばかりで、新たな場面の幕は上がるけれど、「終息」など夢のまた夢であることは、現実を直視する方達には常識の範囲の事実である。しかし、現実逃避は簡単なことである。

今回の熊本地震はその特異性もあり、東北での経験が生かされず、現場は混乱のさなかにあるという。救援物資はあるのに必要の被災者に届かないということは、東北地震でもそうだったが、今回も発生している。しかし、東北地震ではまず津波被害が大きく、そして火災被害が大きかった。もちろん被害者数の甚大であった。この二つのリスクの少ない今回の地震でなぜここまで混乱するのか、しばし考え込んでしまった・・・・。ま、直に見えてくるでしょう。

■ 無い物ねだり。

ティーツリーはこんな時に大いに役立つのではないかと思っている。一定、心にリラックスをもたらし、除菌、殺菌剤としても使いやすく、体調管理にも便利で・・・・。

5年前の東北地震の時も同じことを考えていた。そして、「ま、無理だろうな・・・」とも。

医療政策の問題、農業政策の問題、さまざまな、政治がこうしたアイディアの上に覆いかぶさり、巨大な資金が巨大企業間を駆け巡るような政策しか、この日本の政治の中で採用されないのだ。東北地震の復興予算ですら、地域政治や中小企業、NPOなどには回ってこない。オーストラリア政府なら(もしオーストラリアで地震が社会問題として持ち上がればの話だが・・・)やるかもしれない。世界大戦時に常備薬として使っていたそうで、当然、薬不足の補充として、また、ティーツリーの原産国という事情もあったりで、そんな「無い物ねだり」を夢想してみた。

想定外の「何かが起こりつつある」社会で、そんな未来を迎える私たちが考えるべきことは、簡単ではない。しかし、現実問題として考え、行動していかなければならない。どう行動するのか、誰と手を結び、何を用意し、誰を助け、何に向かって進んでいくのか、それを、ただ夢想するのではなく、現実行動として組み立てていく必要がある。

熊本地震はその必要性を痛感させてくれた。対して永田町の輩は、過去の遺産を守ることに必死で、原発ひとつ止めることすらできないでいる。そして、この機に乗じて、米軍、オスプレイを持ち込もうと・・・・。自衛隊からは反発の声が上がったそうな。国民の常識・良識の枠外で何かをしようとしている現政治家に、日本国民にとって今は考え時である。

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